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2012年8月31日金曜日

発症、告知から丸2年目

8月末で、発症してから2年目になる。古い統計によるD2患者の余命は、中央値が3年程度だったと思うので、まだまだそこまでも達していない。私のように、50代で発病し、低分化でグリソンスコアが高い(9)と、早めに死ぬ傾向がある。同じD2でも、高齢で発病した場合には、高分化で、グリソンスコアも低く、ホルモン療法も良く効く傾向にあると思うが、そういう人も同じ統計の中に入ってくるので、2年生きられただけでも幸いだったかもしれない。

とはいえ、気になる記事が「がんサポート」の最新号(泌尿器のがん特集号)に載っていた。阪大の泌尿器科の先生の記事で、やはりホルモン療法が長期に効く人ほど抗がん剤(ドセタキセル)も長く効くとのこと。ホルモン療法がもし短期間しか効かない場合には、ドセタキセルも短いということなんだそうだ。恐らく多くの医師の観察するところなのだろう。

またエストラサイトを投与されると、ドセタキセルが効かない傾向にあるという。私がまさにその例なのだけれど。阪大病院ではエストラサイトの投与には慎重になっているらしい。

多くの新薬が承認待ちなので、D2患者は、薬の効き目を出来るだけ引き伸ばして、新薬登場を待つのが良いとのこと。その通りだと思うけれど、でも、待てない人はどうするのだろう?との疑問も湧く。今のように、新しい薬が欧米で開発され、日本ではラグで承認待ちという時には、どこの病院に受診しているかどうか(最新の情報量が豊富で、臨床経験も多い病院か、そうでないか)で、生存率が変わってくる可能性があると思う。

この記事で一番驚いた部分は、阪大では、がんの再燃(手術やホルモン療法でがんを抑えたものの、腫瘍が再び悪化した場合)の定義を、一般的な、PSAが二回連続で上昇したら、というものではなく、2上昇した場合としていること。この数値が大きいので少々びっくりしたが、要は、ドセタキセルに至る治療の時間を急がないということらしい。同様の方針をHPで見る限り、医科歯科大も取っているようだが、私の前の主治医は、ドセタキセルは早期が良いとの方針だった。

とはいえ、皆が皆、京大病院や阪大病院、千葉大病院や横浜市大病院に入れる筈もなく、運不運がつきまとうのかもしれない。

食べられるらしいやまぼうしの実。本当かな。



2012年8月28日火曜日

年金事務所に行く

以前、このブログで、匿名の方に、末期がん患者で働けない場合には、厚生障害年金の3級に認定される可能性があると教えて頂いたので、図書館で本を借りて勉強してみたら、その通りだった。国民障害年金は要件が厳しく、2級以上でないと受給の対象とならないが、厚生障害年金は3級まであって、3級には末期がんで働けない場合も認定される可能性がある、と書いてあった。

7月上旬に、痛み、麻痺で殆ど歩くのが困難だったけれど、ネットで調べて、家の近くの年金事務所まで、とぼとぼと歩いて出向き、手続きについて聞いたところ、受給対象になるかどうかの判断は申請後医師が行うこと、却下される場合も多いこと(人工肛門など、明らかに働けない場合には対象になるが、末期がんというだけでは個別の判断となるらしい)、申請から結論が出るまで3ヶ月かかること、却下の場合には異議申し立ても手続き上可能であること、など色々親切に教えてもらった。

年金事務所は、数年前父親の相続の際にとても不親切だったのと、年金を調べに事務所まで出かけた人たちに聞いた評判があまりにも悪いのとで、恐らくは不愉快な一日になることを覚悟して行ったのだけれど、たまたまなのか、行った事務所は空いていて、対応者もとても親切だった。

一番肝心な書類は、主治医の診断書である。

主治医に、所定の申請書類に病状を書いてくれるように、7月中旬にお願いに行って、約3週間後、書類が自宅に送られて来た。開封して読んでみると、私の病状は、フルタイムで働くのに全く問題がないかのような診断書になっていた。「抗がん剤の目立った副作用なし」とある。6クール目までなら、自宅勤務なら、働けたかもしれない。1クール目から下痢が激しく、家の外で何度か失禁したこともあり、外出にはものすごく気を使っていたので、通勤できる状態ではなかった。また10クール目あたりから腰痛が出るようになり、歩行障害、麻痺もあった。客観的に見て、私の場合は、毎日混雑する通勤電車で1時間半かけて都心の事務所へ通い、フルタイムで働けたとは思えないのだが、診断書はそうなっていないので少々びっくりした。副作用は主治医も見ていたはずで、薬も出してもらい、検査も色々やった筈だけれど、医師と患者とで、感じ方がずいぶんと異なるものだと思う。

診断書の予後の欄に、「余命は数ヶ月」と書かれていたのには、一番びっくりした。使っている薬(ドセタキセル)が効いていないからなんだろうけれど、何だか釈然としない。

これを持って、年金事務所に申請に行ったのだが、書類は受理されなかった。全ての書類は揃っていたのだけれど、主治医の診断書に、一箇所だけ訂正印なしに数値を変えたところがあり、受理できないとのこと。重要なところではなく、どうでも良さそうな箇所だったが、絶対にだめとのこと。歩くのが少々辛い体だったけれど、再び主治医の病院へ行き、訂正印を頼む。診察開始の時間なのに、主治医はおろか、看護士もまだ出勤していないとのことで、窓口に提出をお願いをしてきたが、大丈夫かな。

却下確実な診断書を何度も主治医に頼むという、少々情けない事態。

さるすべりの並木道。



2012年8月25日土曜日

お詫び

匿名さん せっかくのコメントでしたが、誠に申し訳ありませんが、削除させていただきました。

私の投稿が、少々言い過ぎだったかもしれず、反省しております。

ご理解下さい。

2012年8月23日木曜日

アビラテロンの治験開始

ようやくアビラテロンの治験が始まった。

6月にタキソテールの治療を中止して、8月上旬のスクリーニングに備えた。スクリーニングの4週間前には全ての前立腺癌の治療を止めておく必要がある。全ての治療を中止してしまうと、当然ながら、癌が憎悪する。PSAも上昇する。PSAは8月上旬には、72まで上昇していた。もっと上がっているかと思ったけど、なんとか二桁どまりだった。

この間辛かったのが、大腿骨に転移した癌の憎悪が原因と思われる、神経の痛みと足の痛み、麻痺だった。(前の主治医の病院では、癌ではなくヘルニアが痛みの原因と診断されてしまったけれど。)

左大腿骨に癌が転移していたので、麻痺が出たり、痛むのは専ら左の腰と足だったのだけれど、6月以降は、尾骶骨のあたりが強く痛みだし、7月末には、一日中痛さでうなるほどの状態になってしまった。ネットで調べると丁度坐骨神経痛のような症状で、とにかく痛い。8月には、寝込む日が多くなり、病院でもらった痛み止めだけでは痛みが治まらなかったので、病院の許可を得て、市販の痛み止めも買って、なんとか我慢したけれど、そのうちに右大腿骨への転移が悪化したのか、右の腰や足も痛むようになり、歩くのに不自由する状況になった。

暑かったこともあり、地獄のような日々だったが、治験開始でようやく一安心というところ。

治験の説明書によれば、アビラテロンは、アンドロゲンと呼ばれる男性ホルモンの生成を阻害する薬で、精巣や副腎にあるアンドロゲンを合成するCYP17というタンパク質の働きを阻害することで、アンドロゲンの合成を阻害するとのこと。既にアメリカや欧州32カ国でドセタキセルを含む化学療法既治療の転移性去勢抵抗性前立腺癌の治療薬として承認されていて、ZYTIGAという商品名で販売されている。

え、そうだったの。何で日本だけ承認されていないの、と思う。イレッサ訴訟や幾多の薬害訴訟もあり、厚生労働省が新しい薬の承認には慎重になっている、法的に正しい手続きを踏んでいるという見方もあるかもしれないけれど、一方で、これで救われる、或いは延命できる命のあることも考えると、単なる官僚機構の権限行使を目的とした承認の遅延か、または医療費抑制のための意図的な遅延なんじゃないの、と疑いたくなる。

医療費抑制が目的ならば、保険適応外で使用だけ許可すれば、自由診療の病院で、治療できれば良いという考え方もあると思うのだが、日本では混合診療は禁止されているから、結局は使えないだろう。

前立腺癌は患者組織が弱いそうなので、他の癌のような、役所へ早期承認のための圧力をかける患者組織が不在なことも、遅延の一因なのだろうか。

ドセタキセルは効かなくなったので、この治験に参加できなければ、ドセタキセルのきつい副作用に耐えながら、あまり効かないと分かっている化学療法で体をぼろぼろにしつつ、緩慢に最期を迎えることになっただろう。その時期が延びたので、とっても有りがたい。あとはいつまでこの薬が効くかどうかだ。




2012年8月13日月曜日

不思議な経験

人は死ぬ直前、走馬灯のように人生の場面場面が脳裏に浮かぶ、という。もっとも、誰もそんな経験は出来ないので、都市伝説かもしれない。

私は、子供から高校あたりまでの記憶が殆どない。通った学校の名前は覚えているが、担任の先生の名前とか、同級生の名前など、まるで覚えていない。高校の同窓会には入っているので、会報は毎年もらっているが、読んでいて懐かしさを覚えたことがない。生まれた町への郷愁も全くない。記憶がないのは、初期のアルツハイマーなのか、なんだろう、と思っていたが、あるきっかけで、高校自体のことを次から次へと思い出すことになり、無理やり忘れようとしていたのかもしれないと思うに至った。

昨日、家の近所で開かれた音楽会へ出かけた。痛み止めを大量に飲んでいるため、何とか外出は出来るが、痛みは完全になくなった訳ではない。大腿骨に転移した癌が神経を圧迫しているのが痛みの原因と思われるため、足が麻痺しており、上手く歩けない。階段の登り降りが難行で、エレベーターを専ら使っている。エスカレーターは動く速度が歩く早さよりも早過ぎるため、怖い。ということで、家から5分のところにあるコンサート会場へ、20分以上かけてよろよろとぼとぼ歩いていった。

演奏会での曲目の一つ、ショスタコービッチの交響曲5番が始まると、唐突に頭がぐるぐると回転し出し、高校時代のいろいろなことが突如思い出されてきた。高校に音楽部を作ったこと、人が集まらず大失敗だったこと、学校が遠くて通学が大変だったこと、一部のクラスメートと仲たがいし口をきかなくなったこと、成績が下がり続けたこと、教室のストーブ(石炭ストーブだった)を囲んで暖を取っていたこと、高校では紛争があり大変だったこと、高崎まで毎月音楽会に通い、帰りが遅くなったことなど、ランダムに、曲とともに思い出されて来た。そういえば、この曲を聞くのは、高校以来だったような。

どうも高校時代の色々な記憶とこの曲が不可分の関係にあるらしく、聞くと反射的に様々なことが思い出されるようだ。思い出の引き出しの鍵が、この曲になっているらしい。

実は高校時代はあまりいい思い出はない。進学校で、男子校で、楽しい学校ではなかった。友達と最近会うことは殆どない。年賀状のやり取り程度。同級生の殆どは郷里の町に住んでいるから、偶然に出会う機会もあまりない。

何故か、封印していた思い出が、曲とともに開封されてしまったようだ。それこそ走馬灯のように、次から次へと思い出される。変な経験。演奏はとても良く、大成功の演奏会だったのだけれども、もうこの曲を聴きに出かけることはもう多分ないだろうな、と思った次第。

もしかして、中学校や小学校についても、何かの曲を聞くと、色々思い出せるのだろうか。思い出したくはないけれど。




2012年8月3日金曜日

激痛に悶える日々

新たな前立腺癌の薬の治験を受けるための条件として、全ての治療を1ヶ月前に止めるというのがある。このため、6月でドセタキセルは中止した。ステロイド剤のプレドニゾロン等の飲み薬も全て中止した。

主治医に、次回のドセタキセル投与中止を申し出ると、やっかいな患者がいなくなるので、喜んでいたような感じだったが、いつ治験を中止されるか分からないから(もしPSAが上昇すると、治験は中止になる)、治験薬が効かなくなったら再び標準治療のためにお世話になる可能製もあるので、よろしくお願いしますと言うと、主治医はとても困惑した様子だった。

新たな診断書の作成もついでに頼んだのだが、主治医が郵送してきた書類には、予後の欄に、「余命は数ヶ月」と書いてあった。少々ショック。いくらなんでも、数ヶ月はないだろう。彼にとってはドセタキセルが効かなくなった患者の余命としては、率直なところなんだろうか。だから、せっかく他所の病院で引き受けてくれたのだから、帰って来て欲しくないんだろうか。

全ての治療を中止すると、当然ながら癌が憎悪してくる。前立腺癌の憎悪の速度は遅いとはいえ、私の場合、大腿骨に転移した部分が憎悪しているので、ここが悪化すると、神経を圧迫して痛みを生じる可能性があった。

それが直接の原因かどうかはまだ分からないのだけれど、2週間前から、強い筋肉痛と、尾骶骨周りが強く痛み出した。尾骶骨周りの痛みは鈍く、連続していて、昼も夜もなく続き、特に夜は痛みで寝られない。痛みは段々と強くなり、一番ひどいときには、一日中、痛さに涙が出る程で、何も出来ず、考えることも出来ず、歩けず、買物も料理も出来ず、唯一出来ることと言えば、トイレに行くことくらい。TVでさえ、ぼんやりとしか見ていられない。本などを読むのも無理で、インフルエンザで高熱が出た際、うなされて何も出来ない、あの辛い状態に近い。

治験先に頼んで痛み止めを貰うが、あまり効かなかったので、許可を得て、痛み止めを処方よりも増量して飲んでいる。痛い、痛いと唸る日々が続く。あまりの事態に、家族と知人にSOSを出し、知人には買物と掃除をお願いし、料理も作ってもらった。家族には差し入れをお願いした。これで食料品を買いに出る必要がなくなったので一安心なのだが、痛みは中々収まらない。

これがづっと続くのならば、長生きはしたくないと思った。調べると、骨に転移した癌の痛みはそれはそれはすごいものらしく、病院のベッドのカーテンを患者が苦痛で引き裂いた程などと書いてある資料もある。まだそこまでの痛みではないと思うけれど、寝られない痛みが2週間も続くと、体力も落ち、気力もなくなる。考えることも出来なくなった。

ただ、痛みというのは、段々と慣れるのか、2週間たった今では、夜は多少寝られるようになり、外出も近所ならば歩けるようになった。

もし、治験が受けられないとなると、残された選択肢は、効かないのを承知で、ドセタキセルの投与を続ける(PSAは上昇し、いずれ骨のがんが痛みだすだろう)か、余命数ヶ月の標準治療は諦め、代替治療を受けるか、あるいは両方を同時に受けるか否か。治療を受ける、選択するには、体力がないと無理で、骨の痛みでほぼ寝たきりの状態では、考えることさえ、出来そうにない。

しかし、がんは痛い。緩和治療で痛みをとらないと、自分の治療の方針さえ、決められません。