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2011年10月29日土曜日

ようやく告知から1年と2ヶ月

前立腺癌と告知を受けてから、11月でようやく14ヶ月目を迎える。1年で死ななくて良かったな。長生きはしたいものだ。

会社にも行けなくなり、話し相手があまりいない。鬱で、被害妄想的な症状も出たせいか、人と付き合うのが苦手になった。友達と会うのも、人にもよるが、楽しくない。同情されるのが、嫌だ。家でごろごろばかりしている。ドセタキセル+ゾメター投与後の1週間から10日は下痢と悪心と足の痺れで外出が難しい。仕事は在宅ならできそうだが、そういう会社の制度がなく、諦めざるを得ない。

癌を忘れないと、いわゆるキラー細胞、善玉白血球も増えないと思うので、笑うとか、適度な運動とか、娯楽も必要と思うけれど、投与後直ぐは体力が80代並みで、階段を上がるのさえ息が切れるし、骨折したら一大事なので(骨はスカスカらしい)、大したことはできない。ジョギング、ランニングは無理。できるのは水泳と、水中歩行くらいかな。骨折のリスクのあるスキーは捨てた。カヌーも早く処分しないと。家の中で粗大ごみ化している。自転車のロードレーサーはインテリア(ベランダの飾り)と化している。できるのは、じっとしていられる娯楽ばかりで、DVDとか映画とかになりがちだ。とはいえ、外出すると疲れるので、中々思い通りにはならない。お金も無いのでオペラとか能のような高額な娯楽はきつい(将来の失業状況+高額医療費を考えると、贅沢できず、外食はできず)。歩くのも、結構疲れるので、自分でも、とても50代とは思えなくなってきた。体力的な実質年齢は70代くらいかな。

副作用のひどい時には、湯治も無理で、寝てばかりでいいし、食事も作らなくていいので行きたいのだけれど、外出することがおっくうなので、行かなくなった。車の運転も長距離は無理。

家の窓から見える大山に一度お参りに行きたいとずっと思っているが、行けるだろうか。昔は馬鹿にして、登ることなど考えても見ないような山だったけれど。

どうして病気になったのか、何故検査が遅れたのか、色々後悔したり、考えたりしたこともあったけれど、そういう後ろ向きのことをいまさら考えても無意味なので、止めた。人を恨むのも、自分を恨むのも止めた。ストレスのたまる付き合いも止めた。後は、母親との和解だけが課題。

彼女はぼくの病気に全く興味がない。今年の正月に正直に病状を告げたが、その後一度も聞かれたことがない。アガリスクで治るはずよ、などと言っていたので、風邪か何か程度に思っているらしい。自分のことにしか興味がないようだった。でも今ではぼくも同じ状態になっている。病気治療で精一杯で、介護施設にいる親のことを心配している余裕がない。何てひどい子供だろう、と思う。

サプリメントは皆止めた。効果がない。高いし、気休めにもならない。食事制限はやっているが、外食で肉が出た場合には少量は食べるようにしている。人参ジュースは作るのは止めた。かすの処分が大変すぎるので。専ら缶入りジュースで対応。

後々のことを考え、服、食器、本を徐々に処分している。結構大量に持っているので。この一年で半分は捨てただろうか。来年の今頃にはがらんどうの家になっているのかな。

2011年10月22日土曜日

味覚障害

今回のクールの副作用で、いつもと違うのは、末端神経の痺れと味覚障害。1クール目は数日で治ったが、4クール目は2週間後の今も続いている。だんだんと副作用は累積するとは聞いていたけれど、これが結構辛いのだ。手足の痺れもまだ続いている。

味覚障害では、舌の味蕾がしびれるのか、どうかなのか、原理は良く分からないけれど、塩味を余り感じなくなり、苦味、うまみ(アミノ酸とか、グルタミン酸などの味)にとても敏感になる。砂を食べているみたいに感じるらしいと言うけれど(砂を食べたことはないから、本当にそうかは知らないが)、殆どのものについて、おいしく感じられない。ラーメンなどでグルタミン酸を使いすぎていると、気持ちが悪くなるくらいに強く感じる。これが天然由来の、自然な、完熟したぶどうのうまみでも駄目(だからワインも駄目)で、葱を煮たときのとろっとした甘みも駄目。鍋の葱が食べられない。うまみ成分凝縮されたところなんだろう、舌に触れただけで気持ちが悪くなる。ビールは苦すぎて飲めないし、ゴーヤーも駄目。とにかく苦い食べ物が駄目。我慢できないくらい。味の6要素の残りの三つ、即ち、甘み、酸味、辛味は大丈夫。

という訳で、味の濃い、食べ物のみ食べられる。カレー味、トマト味は大丈夫なので、カレーとパスタばかり食べているような。揚げ物、ソース味も大丈夫だから、殆ど子供と同じような味覚感覚なのかも。

子供の食い物ばっかり食べているというのも、悲しい現実。美味しい京料理とか、会席料理とかフランス料理を食べても、恐らくは舌が受け付けず、味わうのは困難でしょう。お菓子でも、高級な栗饅頭はうまみと苦味が邪魔して食べられず、安い甘いだけのお菓子は何とか食べられました。

2011年10月16日日曜日

前立腺癌治療で辛いこと

深作欣司監督(字が正しいかな)は治療を拒否したらしい。松田優作は、ハリウッド映画への出演を優先して、治療しなかった(時間がなくて、できなかった)らしい。ゴルフの杉原プロは治療をためらったらしい。というのは、前立腺癌の原因が男性ホルモンにあるから、これを止める、去勢することが前立腺癌治療の第一歩としてあるからで、男性的な作品の製作や、男性的であることが映画俳優としての魅力と本人が思っている場合や、ゴルフをする上で闘争心が不可欠と考える場合に、薬物的とはいえ、去勢しなければいけないというのがどういうことなのか、考えるまでもなく、本人の生き方そのものに影響するから、治療をしないという選択もあるのだろう。

私は、直ぐに死にたくなかったので、当然治療を優先させたが、やはり去勢(薬物的なものだけれど)は悲しかった。女性が乳癌や、子宮癌になり、こうした臓器を摘出しなければならないとしたら、やはり辛いだろうし、その辛さは女性じゃないと分からないだろうけれど、男にとっても、去勢をする、あるいは手術で前立腺を取ったために生殖機能が失われる、或いは勃起しなくなる、などということは男性であるということに関わる重大事(identityが一部失われる)なので、辛い選択だ。更には、エストラサイトのような薬物で女性化が進むと、外見的、つまりは乳房が大きくなるだけでなく、精神的にも女性化が進むので(闘争心はなくなったと思う。チャレンジする気持ちも失せた)、性格も変わるし、温和になるし、人格にも影響があるような気がする。こうしたことは、誰にも相談しようがないので、どうしても鬱屈することになると思う。少なくとも奥さんやパートナーに相談はしないだろうと思う。

また、膵臓癌のように直ぐには進行しない癌であるため、癌との付き合う期間が比較的長いことも、良いような悪いような、宙ぶらりんで、死刑宣告を受けたまま執行されないような、不安定な気持ちに当初なった。カズオ・イシグロの小説、Never Let Me Go(邦題は「私を放さないで」だったっけか)を読んだ時に、臓器提供のために人工的に生まれてきて、臓器を提供したら死んでいかなければならない子供たちが、そのあまりにも過酷な運命を受容し、死を引き伸ばそうと彼等なりに努力するものの、結局は報われず、定められた運命には抗えないまま、淡々と死を迎えていく、という普通ならば理解できないような彼らの物語、気持ちが、何故かとても良く分かったような気がした。変えられない運命が自分の運命であるのならば、どうすれば良いのか。抵抗するのか、嘆き悲しむのか。静かに過酷な運命を受け入れるのか。

3月の大震災で考えたことは、もし震災で死んでいたら、自分の死が予定されていることを知らないまま、あっさりと津波で死んだのだったら、どうだったんだろう、どっちが幸せか、不幸かということだった。勿論、家族にとっては、話は別だけれども。

今は、死ぬ準備をしつつ、一日でも長く、楽しく生きたいと考えている。でも周囲にはすごく迷惑を掛けている。幸い子供がいないので、自分が死んだ後の家族の金銭的な心配をしなくていいのは気が楽だ。(その代わり、忘れ形見もいないから、僕が存在したことを誰が記憶してくれるのだろうか。)家族がおり、扶養していれば、一家の大黒柱としての責任と役割があるから、そのストレスは大変だろうと思う。




ドセタキセル(タキソテール)の4クール目

現在、抗癌剤ドセタキセル(タキソテール)+ゾメター(ビスフォスフォネート)を3週間に一度、ペプチドワクチンも併用して投与を開始中。

ペプチドワクチンには殆ど副作用はないが、ドセタキセルとゾメターには強い副作用が出ているので、その整理を。

ドセタキセルの初回(このときはゾメターはなし)の投与の際には、初日から10日目くらいまで、下痢がひどく、食事後1時間ほどで水状の下痢が続き、下腹部が差し込む痛みを伴い、外出など怖くてできない状況だった。悪心、不安、頭痛も伴い、精神にも若干の影響が出たため、抗鬱剤を同じ病院の神経科で処方してもらい、飲んだ。

2クール目は慣れたのか、強い副作用はなかったが、下痢対策で強めの下痢止めを服用。下痢はある程度我慢できるほどに収まった。但し、歩行障害が3、4日出た。足がむくんだためか、或いは足が麻痺したためか、良く分からないが、兎に角歩くのが若干困難に。

3クール目からゾメターを併用。ゾメターのせいか、筋肉痛で全身が痛い。歯も悪くないのに痛い。6日目から9日まで立ち上がれないほどの倦怠感。外出は一切せず、家に籠もる。下痢は軽め。抗鬱剤は服用を停止。精神的には立ち直ったみたい。

4クール目は、3日目から軽い下痢。とはいえ、頻繁に下痢。下痢止めの強い薬を飲んでいるが、完全にはコントロールできていない。

今までの経験では、投与から10日間程度は辛い。外出を控える必要がある日も数日ある。後の10日程度は比較的元気に過せるが、運動は元のようには行かない。というのも、赤血球が激減しているため、直ぐに息が上がってしまう。階段の登りが辛い。山登りなど、夢のまた夢のよう。1年前までの体力とは全く異なる。一年前なら百名山級も登ったのだが、今では家の前の坂道でさえやっとだから、他人が登っているのをTVで見るのもシンドイ感じ。白血球も7日目から14日まで激減するため、感染症にかかりやすい。主治医は満員電車には乗るな、と言う。東京で通勤はこれでは無理。

とはいえ、治療を何もせずでは、余命は1年程度かもしれないと思うため、治療を苦に思うことはなくなった。また元気な日には生きていることを実感できるため、人生を短く太く生きているような気分。仕事は休業中で、そのうち失業してしまうため、医療費が不安なのと、万一長生きしたら(そんなことはないのだが)どうなるのか、という一抹の不安がある。

ホルモン療法をやっているときは、水泳教室で激しく泳いでいると癌患者だということを忘れられたが、今では無理なので、癌のことはお能を見たり、映画を見たり本を読んだりして時々忘れることにしている。とはいえ、お金がかかること(例えば、能)はだんだんとしにくくなっている。

外見が大きく変化し、髪はなくなり、表情も乏しくなり、一見して癌患者風になったような気がしている。自分に対する自信がなくなりつつあるような気もしている。電車に乗ると、いじめられそうな気がして怖いことがある。弱気になっているような。

2011年10月6日木曜日

久留米大病院での治療1クール目ワクチン投与1回目

久留米大病院でのペプチドワクチンの治療に応募したところ、なんとか基準にひっかかったようで、治療可能との連絡を受けたため、1回目のワクチン投与に久留米まで行ってきた。日帰りも可能だけれど、体調次第ではきついかなと思ったのと、天候で飛行機が飛ばないリスク、安いチケットだと変更が効かない、等々も考え、余裕をもって出かけてきた。ついでに、博多の名所巡りもしたが、殆どの名所旧跡へは行ったことがあるので、次回以降は行く場所がなくなりそう。

ワクチンの注射は4箇所。とても痛いです、と言われたので、覚悟したが、本当に痛かった。普通注射で痛いと思うことはないのだけれど。

注射後は特に腫れもなく、風呂も普通に入ることが出来、痛みもない。痕も特に目立たない。

効果については、1割程度の人に効く可能性があるとのことなので、何とかその1割に入りたいと思うが、どうだろう。右足のふとともに打ちました。

保険が効くと良いのだけれど。交通費を合わせると、1回のワクチン投与が11万円以上になってしまう。これを1クール8回繰り返す予定。もし効果があればもう1クール8回投与することになる。命には代えられないものの、効かなかったときには、経済的な痛みが大きいなあと実感。

箱崎宮の花園をお参りのついでに見学しました。箱崎宮は初めて。16世紀に大内氏が建てた本殿と拝殿があり、立派。国宝ではなく、重要文化財。福岡には16世紀の建物が結構あるせいなのか。立派な参道の先は海で、砂浜が残されており、例の山笠の時の禊をわざわざここまで来てするらしい。花園は彼岸花の真っ盛りで、白と赤と黄の彼岸花が咲き誇っていました。